建築家 青木 公隆さん

もっと自由に、家があってもいい。郊外を家という視点から眺めてみる。

アートが街に溶け込んでいる取手市で、
空き家のリノベーションに取り組み、
病院だった建物を
クリエイティブなシェアスペースとして
蘇らせた青木公隆さん。
アートとコラボすることで
新たな刺激を受けたという青木さんに、
建築家としての歩みと思いを伺った。

物づくりに没頭した少年時代

アメリカ生まれの青木さんは4歳で日本に帰国し、
ニュータウンとして開発が進んでいた
守谷市みずき野で育った。
子どもの頃の青木さんは絵を描いたり、
工作をするのが大好き。
当時、近所には戸建ての建築現場がたくさんあり、
大工さんに廃材をもらっては、
いろいろな物を作ることに熱中した。
当時流行っていたスーパーファミコンを中々買ってもらえず、
ゲームソフトの画面を緻密に描いたことも。
「自分の中で創造するのが好きで、
欲しい物は何でも作ってしまえって思っていました(笑)
お年玉をためて電動ノコギリを買ったり、
中学生の頃には、
自分の部屋を床張りにリフォームしたりしました」と
子供時代を振り返る。

世界を知り建築の奥深さを知る

「数学と物理が好きすぎて(笑)完全な理系でした」
という高校時代を経て、
大学は建築か機械か迷った末、建築の道へ。
「それまで建築といっても身近な建物しか知らなくて、
建築家って漠然と家を建てるんだろうな
というイメージしかなかったんです。
それが、大学に入って
世界的な建築家や建築物を知り衝撃を受けました」
と話す青木さん。
後世に残り、社会的にも影響を与える建築の奥深さに触れ、
世界を見ようと1カ月ヨーロッパを放浪した。
その際に自分に課した課題が、
建物の写真を撮らずにスケッチすること。
「よく見ることは、建築家としてとても大事なことです。
細部にまで目を凝らして描いたので、
今でもはっきりと思い出せます。
もちろん、その後の仕事にも大いに役立ちました」と話し、
「何十枚も描いていると、段々速く上手になりました」と
スケッチの腕も上がったそうだ。
今でも国内外を問わず旅に出て、
街や建築を見る機会を
多くもつようにしているという青木さん。
「街や建物を見ていると、
その場の人や生活や文化が見えてくる。
それが、行く先々で違うのが面白い」。
一番のお気に入りはスペイン。
「とくにイスラム建築の最高傑作といわれる
アルハンブラ宮殿の装飾は、
硬い建築物が織物に見えるくらい繊細で衝撃的でした」と語り、
建築物とは人に感動を与え、
記憶に刻まれものであることを実感したそうだ。

社会や地域を見つめる

卒業後は設計事務所で働き、
設計の仕事と同時に現場も経験。
自分が描いたものが形になっていく過程を知り、
建築物は多くの人たちの手によって形になること、
良い建築を造るためには働く人たちとの
信頼関係やコミュニケーションが大切なことなどを
肌で感じ、経験を積んだ。
ちょうどその頃、
建築が始まったばかりの現場にいるときに
東日本大震災は起きた。
被災地での復興がニュースになる中、
青木さんが感じたのは建築家としての無力感だった。
それまで美しい建物、有名な建物ばかりに注目し、
そこを目指していたが、
復興の現場ではデザイン性よりも実用的なもの、
社会的に必要なものこそが求められ、価値がある。
そのことに気づいた時から、
青木さんの視線は
人々の生活の場である社会や地域に向いていった。

空き家を利活用し街を活性化したい

4年前に独立し、
現在は足立区千住に事務所を構える青木さん。
設計の仕事をしつつ
大学院博士課程で都市計画について研究し、
研究成果を活かすべく
千住と取手で空き家の再生に関わる活動にも携わっている。
「空き家というと危険とか悪いイメージが
先行してしまいますが、
地域の資源として、価値あるものにできないかを考えています。
空き家には、そこに住んでいた家族の歴史があり、
それぞれに物語があります。
それを大切にしながら、
その空き家に適した活用方法を考えています」。
空き家をリノベーションして住むだけではない。
どのように利活用すれば街の中で、
その空き家を生かすことができるのかを考える。
例えばカフェにして人が集まる場を作ったり、
工房にすることでクリエーターが興味をもったり、
また周囲が田園のような環境の場合は、
解体し貸農園として活かすなどいろいろな方法を探る。
「築100年の農家に行ったことがあるんですが、
そこに住んでいる人はこんなに古い家なんて価値もないと言います。
でも黒光りする梁や太い大黒柱など建物としての価値に
自分たち若い世代は憧れる。
このような古い建物を利活用して残していくことも、
自分たち世代がすべきことだと思っています」。
青木さんはさらに街にも目を向ける。
そこで気になっているのが、自分が生まれ育った「地元」。
「全国には、みずき野のような
郊外のニュータウンがたくさんあります。
そこに移り住んだ親世代が高齢化するにつれ、
どんどん寂れていってしまう感があります。
その子供世代である私たちは、
郊外を「地元」と呼ぶ最初の世代なんです。
生まれ育ったここが大切な地元だから、
郊外をどうにかしたいという思いがあるんです」と、
街が空洞化しない街づくりも模索している。

最後に取手の印象について聞いてみると
「街の中にアートな雰囲気があって、
アートが普通に受け入れられている環境がおもしろいですね。
ここに来ると大いに刺激を受けます」と青木さん。
アーティストの自由な発想に触れて、
活動の幅も広がったという。
建築の設計と大学での研究、
そして地域の活動の3本立てで
バランスよく活動している青木さんだが、
最近ケニアの友人ができ、
世界でも仕事がしたいと思い始めた。
「これまでの自分の経験を
どうやって海外で活かして実践するか。
ケニアなどのアフリカの発展途上国の
都市計画に活かしていけたらと思っています」と、
さらなる挑戦を考えている。
広い視野を持ち、
エリアとしての街の将来を見つめる青木さん。
「郊外」を地元として懐かしむ青木さん達の世代が、
地元でどのような活動をし、
未来に繋げるかを楽しみにしたい。

プロフィール

建築家 青木 公隆さん[Kimitaka Aoki]

一級建築士、ARCO architects(アーコ・アーキテクツ)代表

1982年    アメリカ・テキサス州生まれ
6歳から守谷市みずき野で育つ。
2006年    東京理科大学建築学科卒業
2008年    東京大学大学院修士課程修了
2008年~2012年 株式会社日本設計勤務
2012年    ARCO architects設立
2016年~    東京大学大学院博士課程
住宅や医療施設の新築設計や店舗や空き家の
リノベーションを行っている。
茨城県取手市における
取手アート不動産のチームメンバーの一人。
建築設計と地域活動、そしてそれを支える研究で、
未来の建築の在り方を日々模索する。


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